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絵本の”根っこ”を考える
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絵本作家クラブ代表 高橋宏幸 |
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絵本は大きくお話絵本と認識絵本の二つのジャンルに分かれるが、ここでは前者にしぼってその本質を考えてみたい。
絵本は「絵の本」ー芸術的に高い絵を集めた本か、と問われたら、「ノー、画集ではない」と答えよう。たとえ一枚一枚の画に鑑賞価値はなくとも、一冊にまとまってはじめて有機的な価値を生じる構造物、これが絵本である。では絵本の価値とは何か。一口でいうと、「おもしろさ」につきる。
「おもしろさ」とは「感動」である。感動は追体験(再認)のよろこびや、新しい発見のおどろき、あるいはその複合が引き金となって起こる「心の震え」とでもいえようか。
赤ちゃんに「いない、いない、ばあ」をすると、赤ちゃんは七、八か月の生活体験で、掌のかげに母親の顔があることをちゃんと知って、「やっぱり」と安心のよろこびを示す。これが再認のよろこびである。代わりにぬいぐるみやお面を出して見せると、未知の物の発見におどろきの声をあげるだろう。掌が赤ちゃんの想像力をかきたてた結果にほかならない。絵本にかぎらず、文学でも映画でも、感動とは、つきつめると、想像が誘発するこの二つのモメントにつきる。
では「想像」とは何かー端的にいえば、頭の中で、ことばを絵におきかえようとし、または絵にことばをそえようとするはたらき、ともいえよう。例えば、「犬」という文字(ことば)を示されると、私たちはある犬のイメージ(絵)を頭にえがいて、文字を理解しようとする。つまり、ことばを理解することは頭に絵をえがくことである。また「イヌの絵」を見せられると、「犬」という文字(ことば)を思いおこそうとする。このように、言葉と絵との相互関係に転換を起こさせるには、それなりの積極的、能動的な脳のはたらきを必要とする。この作用を「想像」といいたい。赤ちゃんが「いない、いない」ということばの主を、掌のむこうにいる実体(イメージ)に結びつけようとする。これが想像である。
文学をたのしみ、理解をすることは、頭の中で想像する動く絵をたのしむことであり、絵画や絵本をたのしむことは、文章では表現できないことばやドラマを、その中に想像することにほかならない。従って、イメージを想像できない文字に親しめないし、ことば(お話)の沸いてこない絵本には興味もわかない。いいかえれば「おもしろい」と感じるのは、想像を刺激し、想像を満足させてくれるからでもある。
絵本は文字どおり「本」であり、複数の画面が有機的につながって一つのテーマをうたいあげる構造物である。だから一場面、一場面を順次にみせることによって絵本の世界が開かれ、画面の変化によってストーリーが組み立てられるものでなければならない。従ってページをめくることは絵本の絶対的な作業となる。そしてページが母親の掌の役割をうけもつ。
ページをめくろうとするとき、読者の頭の中は、次の場面への連想と予想でいっぱいになるだろう。連想、予想が的中したときは、満足のよろこびを、どんでん返しをくったときは、意外な発見におどろきを味わうにちがいない。連想、予想は期待へと変わり、願望を生み、限りない想像の世界をひろげていく。こうして獲得した情や知の世界が、読者の頭の変容を誘起して人間を開眼させる。このことが人間形成につよく作用するものだと考えたい。
別な角度から見ると、ページをめくるとき想像をかきたてる空間は毒矢の想像力、創造力、思考力の芽を育み、人類の進歩に関わりをもつ。ページを開きおえたときうける感動は、読者に人間と人間との関係、社会のしくみ、自然のおきてなどを認識させ、生きるよろこび、生きる知恵、生きる力を身につけさせ、人間の幸福とつながりをもつようになる。
こう考えると、ページをめくるわずか一秒の中に、絵本のもつ重大な役割が秘められていることに気づくはずである。かくしてページをめくる魅力のある絵本、想像をかきたてる絵本が、より良い絵本だと理解できるだろう。コマ絵をひろうマンガ本も、文章を追う童話本もページはめくる。だが、やむおえない物理的な行為にすぎない。絵本では、ページは決定的な意味をもつ。これが根本的な特質といえる。ただ。きれいごとだけの、あるいはページをめくるのに苦痛を伴う徳目主義、芸術至上主義的な絵本には与(くみ)しない。 |
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絵本作家クラブ通信1号から抜粋 |
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